RECIPE!

i know it.
you know it.
the answer always be near you.
it's simple and beautiful and tough.
we have recipe for wonderful tomorrow!

it just pure.

「彼女の空」

---国標津村シリーズ1---


「こんにちは」
そう言いながら部屋に入ってきた栗田は、僕の顔を見て掘り出し物を見つけた様な顔をしてニヤリと笑った。何か顔についているのか、と思ったがその理由は直ぐに分かった。つまりはそういう事だったのだ。彼とはそういう人間だったのだ。そしてそれに気づかなかった僕の負けなのだ。
今だから笑える。しかし、その時、僕の鼻の頭にハエが留まっていたのは事実なのだ!それも二匹!一匹ならばハエの気まぐれと解釈することもできるが、二匹となると弁解の余地がない。ハエにとって魅力的な何かがそこにあるのは明白なのだ。ハエにとって魅力的な何かとは、 概ね人間にとっては反対の価値を持つ。
栗田は一瞬にして相対的にポジションを明確化させた。鼻の頭など全く気にしていなかった僕の敗北は明白だった。それは、今から僕がしようとしていることを否定した遠回しな表現だった。それがいつもの彼の手段で、それは充分にわかっているつもりだった。すべてを四十度近い気温のせいにしたい、体中の水分が飽和し始めている。ハエが飛んで行った時、彼は追い討ちをかけるように僕が持っていたアドバルーンを指さして言った。
「ソレ飛ばすんですよね、それだけ派手な色ならば、鳥も喜びますよ」
僕ははっとした、言われるまで気づかなかった。空には鳥という先客がいるのだ、それらを刺激することは、すなわち住民を刺激することになるのだ、そうなった場合、知事が黙ってはいない・・・・




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「中止、中止!」
駐在の竹田が肩のしずくを振り払いながら部屋に入ってきた。
「雨だから、今日は飛ばせないよ、せっかく見つけてきたのにね」
竹田はそう言うとアドバルーンをポンポンと触った。窓外を見ると雨が降っていた。気温も少し下がったようだ。向かいに立っていた 栗田も窓外を見ていた。
「鳥が低く飛んでいたからな。」
そう言って、栗田は部屋を出た。
最近、国標津村は全国で唯一、住民基本ネットワークに加盟していない自治体になった。加盟していたのだが、全データの入った端末が三日前に盗まれたのだ。住民がわずか200人の村のデータなど、携帯電話にも入るくらいの量だ、わずか2メガのメモリーカードにも入ってしまう。文字データなど、どんなに増やしたところで300万画素のデジカメ写真1枚分よりも軽いデータなのだ。大きなコンピュータなど必要ないのだが、対外的な事もあるので、ジャパネットタカタで買った2Kgのノートパソコンにデータを入れ、中央から法外な値段で買わされたセキュリティソフトを稼働させながら、国のネットワークにつなげていた。


そのパソコンは、村のパソコン教室用にも使っていた。小学生からお年寄りまで、パソコンの操作で分からないことが有ると役場に来て、役場の人間からそのパソコンを使って色々教えてもらえる。パソコンはみんなが使えるように、憩いの部屋に置いてあった。住民データを狙う場合、何も外部からネットワーク経由で侵入しなくとも、警備の薄い村役場に直接侵入すれば、パソコンごと持って行くことが出来る。そして、パソコンは忽然と姿を消した。
それを盗んだのは、木村のばあさんだった。



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ばあさんにとって、住民データなど関係なく、パソコンそのものが欲しかった様だ。木村のばあさんは役場の目を盗み、白昼堂々ノートパソコンを持ち出した。いや、詳しく言うと目は盗まずにモノだけ盗んだ。普通に役場にきて、普通に世間話をして、パソコンの操作を10分くらい教わって、そのまま普通に持って帰った。役場の誰もが自然すぎて気がつかなかった。
ばあさんの孫のキヨテルが言うには、
「前日に、パソコンっていうのは何でもできるのかい?って聞かれたから、やりたい事さえあればたいていは出来るよ、って答えたら、うなずいてた。」という事らしい。
そしてばあさんはパソコンと共に行方をくらませた。
キヨテルは続けた、
「ばあちゃん、パソコン使えないし、お金も持ってないし、パソコン返したくても方向音痴だし、役場の場所が分かるようにアドバルーンを上げたほうがいいかも。前にばあちゃん、隣町のデパートでずっとアドバルーン見てたから、帰ろうって言っても、動かなかったから。」
確かに三年前に会社更生法を出した百貨店で、毎年夏に黄色のアドバルーンをあげていた。百貨店といっても2階建ての小さな店で、それでも村では一番大きいお店だった。子供の頃から、あのアドバルーンが夏の標だった。青い空にプカプカと泳ぐ風船。そういえばあれが無い夏にも自然と慣れてしまった。思い出が現在につながらず、思い出のまま、遠くに行ってしまった感じがした。
子供の頃、いつも栗田と自転車を漕いでその百貨店のおもちゃを見に行ったのを思い出した。アドバルーンを目指して一生懸命ペダルを漕いだ。
そういえば、昔は仲が良かった。
キヨテルの言うことはあまりにも突拍子がな いと思ったが、他に手立てが無いので、とりあえずそれを入手することにした。
データのことは、幸い中央には気づかれていなかった。問い合わせが来ていなかった。オタク小学生のトロン吉田くんが自前のパソコンを接続して急場はしのいでいるが、そう長くは続けられない。駐在の竹田もそろそろ捜索願いを保留するのは無理があると呟いて帰った。
僕は雨空を見ながら少し考え、やっぱりアドバルーンを上げることにした。




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黄色のバルーンは、さすがに目立つ、栗田は他の住民から問い合わせが来たらどうするんだ、理由は話せないだろ?と言っていたが、考えている時間は無い。雨ということは気圧が低く、バルーンも高くは上らない、隣町からは見えずに、ちょうど村の範囲で見えるくらいじゃないだろうか、かえって都合がいい。すぐ隣の町に住んでいる知事にバレルことを村長は心配していた。しかしその範囲内にばあさんはいるのだろうか?
僕は村内で一番高い三階建ての水道局の屋上からバルーンを上げた。
雨に濡れながら、 周囲を見回した。
1時間ほど経った頃、遠くの田んぼに立つ、木村のばあさんが見えた!雨に濡れながら、パソコンを両手に抱え、バルーンを見上げていた。とっくに帰ったかと思っていた栗田が走っていって、ばあさんをつかまえ、こっちに大きく手を振った。
ばあさんがあまりにも真直ぐにバルーンを見ているので、バルーンはそのままにして田んぼのところに行った。ばあさんはバルーンを見上げながら、
「パソコンは、本当に、何でもかなえてくれる んだねえ・・・」
とつぶやいた。あまりにも真直ぐに嬉しそうに言ったので、理由は聞かなかった。
栗田も黙ってバルーンを眺めていた。




後日、キヨテルが教えてくれた。
「ばあちゃんは、あの風船が見たかったんだって。五年前、じいちゃんが入院してた病室から百貨店のアドバルーンが見えて、あの風船、何で浮いているのかばあちゃん分かんなくて、じいちゃんも分かんなくて、何だか気持ちよさそうだねえって二人でよく見てたって・・・。ばあちゃんは毎日お見舞いに行ってて、ある日、じいちゃんの好物のおはぎを買ってお見舞いに行こうとして、バルーンを目指して歩いてたんだけど、そしたらバルーンのヒモがほどけて、空に飛んでいっちゃったんだって。それで百貨店の場所が分からなくなって・・・それでも百貨店の場所を人に聞いて、なんとかたどり着いておはぎを買って、病院に行ったら、そしたら・・・そしたら、じいちゃんが息を引き取ってて・・・・・僕は小学校にいて、駐在さんの竹田さんが学校に飛んできて、パトカーで病院に着いて、ばあちゃん、じいちゃんの手を握ってて・・・じいちゃんが、風の船に乗って行っちゃったよって・・・・・」


キヨテルは泣きながら、そんな出来事を話してくれた。
遠くでセミが鳴いていた。とても優しい音で鳴いていた。栗田は黙ってキヨテルにカルピスを差し出した。キヨテルは一気に飲み干した。僕も氷の音をカランカランさせながら飲んだ。
久しぶりに来た栗田の家のカルピスは、あいかわらず薄くて、懐かしい味だった。
いろんな事が、つながっている感じがした。



おわり

「サンルーフ」

---国標津村シリーズ2---


村長は赤面しそうだった。その理由は二つある。
まず、高級な県の公用車を借りてきたにもかかわらず、地面の凹凸がひどく、さっきから車がひどく揺れていることに対して。予算のない国標津村の道路整備はかなり遅れている。そしてもうひとつは、高速のインターを降りて既に40分も走っていることだった。村に高速は走っているが降り口が無いために、隣の県まで行って、戻る形になるのだ。
そのことに対して、後部座席の村長の隣に座っているロックミュージシャン、佐野友秋がどう思っているのか、それが気になった。そこで村長は質問をした。
「田舎でしょう、すみませんね、こんなところまで。」
それは都会から来た人に対して、誰もが言うお決まりの挨拶みたいなもので、
「いえいえ、自然がたくさんあって、いいですね。」という答えを前提とした質問で、分かってはいるが、それを聞くと安心するという、季節の挨拶のようなものだった。
しかし今回は違った、個性派の佐野さんは黙ったままだった。重い空気が車内を覆った。僕はバックミラー越しに、風景を眺める佐野さんの横顔を見た。そんなに不満そうな顔をしているわけではない。彼独特の雰囲気で風景を楽しんでいるように見えた。僕は昔から佐野さんのファンで、僕が今年の青年会のゲストに推薦したので、この空気に一応責任を感じ、佐野さんに聞いた。
「雨、降らないといいですよね、でもきっと大丈夫ですよ!」
今日のコンサートは屋外だ。佐野さんは黙ったまま空を覆う厚い雲を見つめた。予報では、雨だ。僕は続けた。
「佐野さんのバックバンドのオーガニック☆ジャンキーのベッティ吉野が脱退したってホントウですか?」
佐野さんは、オヤという顔をして、サングラスを外し、バックミラー越しに僕を見てくれた。僕は緊張した。佐野さんがゆっくりと口を開いた。
「僕はこう思うんだ。それぞれの道がある、それは先でつながっているかも知れないし、そうじゃないかもしれない、でも、これだけは言える。ベッティさんのサックスは、生き物だよ。」
「・・・そうですかー!」と話の内容を良く理解していない村長は相づちを打って、会話が成立したことに対して安心した顔をした。
僕はそんなことよりも年下のベッティ吉野に"さん付け"をした事に驚き、呼び捨てにした自分が恥ずかしくなり、そしてますます佐野さんの事が好きになった。僕はさらに調子にのって言った。
「アルバムの"ボヘミアン喫茶"の最後の曲の"コーヒー羊羹はコーヒーを飲みながら食べると普通の羊羹"が好きで、すごい好きなんです。」
ヨウカンはタイトルにしか出てこなくって、慣れることで大切なナニカを忘れてしまうという切ないラブソングで、最高にクールだった。
佐野さんはオヤという顔をして、「♪風の中の八月~」
と口ずさんでくれた!おおー、これは佐野ファンの栗田に報告だー。村役場の同じ部署で働く栗田は僕よりもアルバム一枚分永くファンなのだ。僕たちは、佐野さんがこんな小さな村に来てくれることに熱狂した。レコード会社の人も、普通は考えにくいが、今回は本人が快諾してくれたと言っていた。最高に嬉しい。

会話が温まってきたことを村長は感じ、話を自分方向に戻そうとした。
「いやー、インターができる話も昔はあったんですが、すみません田舎で。」
佐野さんはふたたび黙り、いまにも降り出しそうな厚い雲を眺めていた。

インターチェンジの話で思い出した、そういえば中学の頃、そんな話があった。話の主は栗田だった。栗田は教室でみんなに言った。
「これは内緒なんだけど、うちの畑、売るかもしんねー。道路公団の人が来てさ、土地の取得がどうとか権利がどうとかさ、インターチェンジ建設の下見だって親父が言ってた、けど内緒な。国家機密な。」
みんな興奮した。遠くで偉い感じの人たちが決めること、それを事前に知ってしまって、とてつもない秘密を聞いた感じがした。車を持っている家も少ないし、インターが出来て、何がどうなるかよく分からなかったが、気持ちは高揚した。
栗田は喘息で体が弱いので、週に一日学校を休んで高速道路で病院に行っていた、だから彼は特に嬉しかったのかもしれない。
しかし・・・・・、いつまで経ってもインターは出来なかった。みんなの期待していた気持ちがしぼむのに反比例して、栗田は虚言癖があるという風評が大きくなっていった。みんな、しぼむ気持ちの理由も本当はよく分からなかったのだが・・・・・。
それ以降の栗田は、ひとつの嘘を薄めるかのように、たびたび嘘をつくようになった。みんなが栗田を避けることになった決定打は
「蚊取線香って何でできてるか知ってる?蚊なんだぜ、蚊、だから蚊が嫌がるんだ。」だった。
僕は彼を避けることはしなかったが、お互いに少し距離が出来た。彼に何か言うと、彼は話を大きくするために嘘をついてしまう、そうなるのが嫌で、話しかける回数が少なくなってしまった。以前とは確実に温度が違っていて、何か寂しかった。僕の家はラジオの電波が届かなかったので、毎週、栗田に録音してもらっていた佐野さんのラジオの事がやけに気がかりで、もう頼めないかと思っている、そんな自分も嫌だった。

後から聞いた話だと、当時、栗田はインターの事を父親に尋ねたらしい。
父親の答えは「ああ、そんな話があったかのう。」という軽いものだった。
栗田もそれ以上は聞けなかった、「なんで!」と熱く聞くのもかっこわるいし、そこまでインターにこだわる理由も自分の中に見つからなかったし、説明も出来なかった。「ふうん。」で済ませた。なにかとクールを装いたい年齢だ。家の前にインターが出来て病院に速く行けることも彼の中で特段喜ぶことではなかった。時間がかかって丸一日学校を休めるほうが嬉しいのだから。

しばらくして栗田はラジオにハガキを送った。どうしてああなったか?、どうして自分はそうしたのか?、父親への失望、なにもかも整理がつかない感情を、ハガキいっぱいに、こまかい文字で書き刻んだ。それを打ち明けられるのは佐野さんしかいなかった。しかし、ラジオでは読まれなかった。
当時、佐野さんのラジオで中高生のリスナーは「坊や」と呼ばれていた。大人になる前の多感な時期を、繊細すぎる年頃の問題を深刻に抱えすぎないように、佐野さんは愛情を込めてそう呼んでいた。ファンの中高生も自分は「坊や」だと言って自慢したりした。高校を卒業したリスナーは「貴君」になる。佐野さんはラジオでは決して「ラジオの前の"みんな"」には語りかけなかった。「ラジオの前の"キミ"」に語りかけた。それは、一対一の時間だった。
いずれにしても、インターチェンジが彼の道を、少しだけ狂わせた。栗田が"坊や"でいられる時間はいつの間にか過ぎ去った。
役場に到着した。50分かかった。インターチェンジがあれば、たった5分の距離だ。



青年会は盛り上がった。役場の隣の運動場が会場だったが、なんとか雨も降らずにすんだ。"コーヒー羊羹"のボサノババージョン、最新曲の"僕がシュートを決めたら、みんながウキウキ"も披露してくれた。そして何と、ベッティ吉野さんが飛び入り参加してくれたのだ!後任のトランペッターのペッパー岸田さんとのホーンバトルは盛り上がった。最高の時間だった。
コンサートの途中でアンプの調子がおかしくなり、5分くらいコンサートが中止になったのだが、すぐに復活したので良かった。しかしあの5分は永かった。永遠に時間が止まったかのように、とてつもなく永く感じた。
帰りの運転手は栗田だった。彼はやけに緊張した面持ちで車に乗り込んだ。
僕は会場のあとかたずけをしていた。そこに栗田の親父さんが来て、
「和弘は、どうしたかのう?」と聞いた。
「ああ、和弘君は佐野さんを乗せて出ました。」
「ああ、そうか、和弘は佐野さんのファンじゃからのう、一回、ファンクラブの会報の封筒を間違って開けたときは怒ったなあ」
「そうですか」
「ん、和弘の車に乗せてもらう約束じゃったが、じゃあ、バスで帰るとするかな。」
そう言って親父さんは、バス停のほうに向かった。そんな約束のことは栗田はないがしろにしているに違いない。
「ああ、僕の車でお送りしますよ。次のバスまで2時間ありますし。」
栗田はあの件以来、親父さんと距離があるので、何かと僕が気遣うのが自然になっていた。助手席に乗ったお父さんは、やけに小さく感じた。時間は確実に流れている。栗田のお父さんも70歳近いのだ。どことなく距離が出来てしまった親子、どんな時間が流れていたのだろう。
僕はお父さんを送る道中で思い切って聞いてみた。
「昔、インターの話ってありましたよね?」


栗田は高揚していた。今日のコンサートの感想を一通り佐野さんに伝えた。すこしアクセルをゆるめて、もっと時間が欲しいと思った。でも疲れている佐野さんのために、なるべく急いだ。
村長が言った。
「また50分ですが、寝ていていただいてかまいません。」
佐野さんはしばらく黙ってから、唐突に言った。
「この村に、インターチェンジ、あるほうがいいんでしょうか?」
栗田はびくっとした。さっきまでの高揚が引き、表情がこわばった。忘れていた感覚が蘇った。
「昔、レディオをやっていたとき、そんな内容のハガキをリスナーからもらったことがあって、純粋で壊れやすい気持ちが溢れていた。インター建設の件が立ち消えて、色んな事があり、自分でも整理がつかなくて、友達が去ってしまい、父親との距離が出来てしまったという内容だった。」
と言って、ジャケットのポケットから古びたハガキをとり出した。
栗田は驚いてバックミラー越しの佐野さんを見た。サングラスをしていた佐野さんと目が合った気がした。
村長は佐野さんの質問に答えた。
「まあ、車が増えますので、大型店の誘致もしやすいですし、旅館も物流も、なにかと・・」
佐野さんはハガキをポケットにしまい、頭をヘッドレストにもたれさせ、車の天井を見上げていた。村長は続けた。
「昔そういう話があったとき、予定地になっている土地の持ち主が私のところに来まして、中学生の子供が喘息持ちだから、できればインターはやめてくれと来まして、トラックやらダンプやら、車が増えますので。」
「!」
栗田の中で、ゆっくりと氷が溶けはじめた。村長が思い出したように言った。
「ああ、あれは栗田君のお父さんだったなあ確か、そうかそうか、体はどうだ?」
涙があふれてきて、言葉が、なかなか、出てこなかった。
「・・・・・・はい、・・・治りました。」
その時、朝から空を覆っていた雲に隙間ができ、車に光が射した。栗田は涙をぬぐい、目を細めた。バックミラー越しの佐野さんが少し微笑んだ気がした。そして佐野さんが言った。
「朝から新しい曲の題名を考えていたんだけど、今、舞い降りた。題名は「雲の向こうでも、いつも太陽は輝いている」だ。」
佐野さんは栗田を見て、続けた。
「坊や・・・いや、貴君、サンルーフを開けてくれないか!」


同じ頃、栗田の親父さんも僕に言った。
「それで、村長は、一も二もなく断ってくれた、あれは助かったなあ。」
すぐに栗田に電話して伝えたいと思った。

でも彼は今、50分という、貴重な佐野さんとの時間を楽しんでいるに違いない。
僕らにとって、佐野さんとの50分は、一瞬のように短い!





おわり

「ほたるのひかり」

---国標津村シリーズ3---


栗田のお父さんは大工の仕事を終え、国道沿いにある村で唯一のコンビニに来ていた。楽しみにしていたコンビニの前に毎晩出ているおでんの屋台がないので、店主に聞いた。
「あれ、ばあさんは? 休み?」
コンビニ店主の田中は腕時計を見た。午後11時。いつもばあさんは午後7時から11時まで屋台を出している。
「今日は来てないんだよ。マコトが小学校の卒業式だったから今日は休むのかなあと思ってたけど、電話でもしてみるか。」
そう言って田中は店の奥へ消えた。
栗田のお父さんは、いつもばあさんの屋台がでている、店の外を眺めた。



国標津小学校の昼休み。小6のマコト、栗田、南、木村は遊んでいた。
「マジカルバナナ、バナナと言ったら黄色!」
「黄色といったら、信号!」
「信号と言ったら、車!」
「車と言ったら、速い!」
「速いと言ったら、ニュース!」
「ニュースと言ったら、新聞!」
「新聞と言ったら、1を足す!」
「1を足すと言ったら・・・・・・・ちょ、ちょっと待って、ストップ!マジカルストップ!」
マジカルを止めた栗田はマコトに聞いた。
「1を足すってなに?あやうく続けそうになったけど、意味が分からないぞい・・」
マコトは答えた。
「新聞って、日付が昨日じゃない?」
みんなは顔を見合わせた。マコトは続けた。
「毎朝、ばあちゃんが新聞配達所に新聞を取りに行くんだけど、新聞の日付って前の日だから、それに1を足すと今日の日にちが分かるじゃない?」
「・・・・・・」
栗田が言った。
「・・・それさ、古新聞だよ。前の日の新聞をもらってるんだよ。」
「え・・・・」
「試しにさ、いい?、マジカルバナナ、腹が減ると言ったら?」
マコトは即答した。
「腹が減ると言ったら、寝ーる。」
「・・・やっぱり」
「なになに? 腹が減ったら寝ろってばあちゃんに言われてるよ。」
「・・・うーん、もしかしてビンバウ?」
「え・・・」
薄々分かっていることだった。マコトのトレーナーのバリエーションは4枚しかない。つまり月曜日と金曜日は同じトレーナーだ。夏場のTシャツもしかり。みんなはわざとらしいほどに白けた感じで解散した。
ばあちゃんと二人暮らしでお金がないのは分かっていたが、それが普通だと思っていた。新聞の日付が前の日なのも、腹が減ったら寝るというのも普通の事だと、本気で信じていた。今日はばあちゃんと口を利く気になれない。
もうすぐ小学校の卒業式なのだが、なんだかこのポジションのまま卒業するのは、ちょっと無念な気がした。この村ではみんな大人になるまで一緒なので、今のうちになんとか挽回しなければ。
小学生はリアルなのだ。一番いばっている奴でも、学校の帰りに犬のフンを踏んだら一瞬のうちに一番下のポジションに落ちるという下克上の世界だ。そこから這い上がるのは日々の努力が必要だ。貧乏というキャラは、犬のフンほどのダメージはないが、みんなの納得の速さを見ると、前から思っていたことをとうとう言ったり、という感じがして少し悔しい。
夜、口を利かないと決めていたが、やはりばあちゃんに全部話した。ばあちゃんは布団を敷きながら、黙って聞いていた。


数日後、学校から家に帰ると、大工をやっている栗田のお父さんが来ていて、リヤカーを改造して何かを造っていた。聞いてみると、おでんの屋台だという、ばあちゃんがおでんの屋台をやるらしい。2、3日夕方に来て作業をして、栗田やみんなも見に来ていて、栗田がニタニタしている気がして少し腹がたった。栗田のお父さんは、作業代はいらないと言った。そのかわりに、たまにおでんを食わせてくれ、ちくわぶは煮すぎないのが好ましい、と言って笑って帰っていった。好ましい好ましくない関わらずに、ばあちゃんが屋台をやるなんてマコトにとっては好ましくない、恥ずかしい。


おでんの屋台をやると聞いたコンビニの田中さんが家に来て、自分の店の前でやるといいと言った。ばあちゃんが屋台をやると聞いて村のみんなが心配してるけど、あそこは明るいし、人や車も村で一番通るし、何かあったら俺がいるから大丈夫、と。自分のコンビニは全国チェーンのフランチャイズでおでんも扱っているが、ばあちゃんのおでんのほうが美味いだろうし、そのほうがお客さんにとっても店にとっても嬉しいことだと言っていた。
次の日から、学校から帰るとばあちゃんはおでんの仕込をしていて、暗くなると屋台を引いて出かけていった。マコトはばあちゃんとあまり口を利かなくなった。たまに近所のおじさんに「おでん美味しかったぞー。」と言われてもバカにされている気がした。家にお金があれば、こんな辱しめを受けずに済んだのに。
マコトの両親はいない。じいちゃんも数年前に亡くなった。ばあちゃんに年金は出ていない。じいちゃんは働いていた工場で毎月、年金代を払っていたが、実はだまされていて、工場はその年金代を国に収めてなくて、だから年金は出ないらしい。ウチの収入は、ばあちゃんの畑仕事の稼ぎだけだ。
そしてばあちゃんは毎晩屋台を引いて、家から30分歩いた国道沿いのコンビニの前に通い始めた。



もうすぐ春祭りと卒業式だ。その2つは毎年同じ日に行う。一年で一番楽しみな春祭り。その日のためにマコトはその年のお年玉を使わないでいる。
午前中が小学校の自分の卒業式で、昼から神社で祭りが始まる。でも出かけるのは夕方からだ。外が明るいと日常の延長線上な感じがするけど、夕方になって、ぽつりぽつりと夜店の電球が点いてから、不思議な世界が浮かび上がる。たった一晩の夢の世界。いつも静かな村に多くの人が集まり、とても賑やかになる。たくさんの電球を見ていると、この世ではないフワフワとした浮遊感があって、不思議な気分になる。大人の入り口みたいな感じがする。


しかしマコトは熱を出した。その日の朝から40度の高熱が出た。卒業式も春祭りも行けなかった。ばあちゃんは青年会に
「孫が楽しみにしている祭りだから、もう一日やってほしい。」
と頼みに行ったが、やはり無理だった。同級生の南が卒業証書を届けてくれた。これからみんなで祭りに行くという。
午後9時頃、祭りが終わる時間に、不思議と熱もひいた。自分でもびっくりするくらいに普通にもどった。最近、ばあちゃんに冷たくしている罰でもあたったのだろうか、じいちゃんの仕業か?
卒業式のこと、春祭りのことをボーっと考えながらテレビを見ていた。ばあちゃんとは口を利かなかった。とりあえず全身からフテクサレタ感じの空気を出しておいた。熱で寝ている時にばあちゃんに、もういいよ、あっち行ってよ、いなくていいよ、おでん行けばいいだろ、と言ってしまったことが少し気まずかった。

しばらくすると、ばあちゃんは屋台の準備をして家を出た。いつも夜11時まで屋台をやっている。長距離トラックの運ちゃんで、仕事帰りの遅い時間にばあちゃんのおでんを楽しみにしている人が多いらしい。
テレビを見ていると電話が鳴った。コンビニの田中さんからだった。ばあちゃんが来てないらしい。時計を見ると夜11時だった。いや、10時前に家を出たよと答えた。家からコンビニまで屋台を引いて30分、着いていないとおかしい。
走った。コンビにまで走った。コンビニの前に屋台は無かった。来る道中でも見かけなかった。
田中さんと栗田の父ちゃんが店から出てきた。
「マコト、どうだ?」
「いない、途中もいなかった、探す!」
と言ってマコトは夜の道を引き返した。
暗闇の中、あっちこっち探したけど、いない。不安で胸がいっぱいになった。事故?強盗? でもばあちゃんはお金をもっていない。用意できるほどのおつりを持っていないから、お客さんはコンビニで何か買ってお金をくずしたり、田中さんが両替してくれたりしている。だから強盗ではないと思う。・・おでん?おでんを狙った強盗?いや、そんなの聞いたことない。少し肌寒い夜の闇に一人、不安が大きくなっていく。新聞は昨日の日付でいいから、今までの生活で充分だから、無事で出てきて欲しい、そう思った。
前方の暗闇の中に誰かがいた。
栗田だった。光雄もこっちに気がついた。
「・・・マコト、聞いた。俺も探す。」
「・・・・、うん。」
栗田は言った。
「・・・前に、俺がおたふく風邪の時、マコトのばあちゃんおでん持ってきてくれて・・・・・美味しかったから、だから、おでんの屋台やるといいって言ったの俺なんだ、それで親父に頼んで・・・。今回は俺の責任なんだ・・・。」
いつもの強気な栗田のキャラとは違っていた。


栗田と、ぽつりぽつりと、いろんなことを話しながら暗闇を歩いた。
マコトはひとつだけ、栗田に言えないことがあって、ずっと気になっていた事を聞いた。
「栗ちゃん、スーパーカー見に行ったの覚えてる?」
栗田は少し考えてから、思い出したように答えた。
「ああ、隣町の高田さんっていう家がスーパーカー買ったって噂で、一緒に探しにいったよな。3年の時か。」
「・・・うん、でも高田さんの家、見つからなくって、スーパーカー見れなくて、夜になっちゃって、僕たちが帰ってこないって村で大騒ぎになってて、駐在の竹田さんが探しに来て、大変だったよね。」
「そうそう、あれは悔しかったなあ、見たかったなあスーパーカー、どんなだったんだろう・・・カウンタックだったのかなあ?・・結局スーパーカー見れなくて、パトカーで帰ってきたもんなあ・・・」
栗田はそう言って、本当に残念そうな顔をした。マコトは、思いきって言った。
「・・・あれさ、実は、ばあちゃんから聞いた情報でさ、スーパーカーじゃなくて・・・スーパー・・カブだったんだ・・・・・ばあちゃん聞き違えたっていうか、知らなくて・・・」
「ええーーーーー!」
「スーパーって名前がついているから・・凄いと思ったらしくて、出前のバイクだなんて知らなかったみたいで・・」
「そーかー、カブの方かー、それは見つからないよなー。」
と言って、栗田は思わず吹き出した。
僕もつられて笑った。栗田が笑いながら言った。
「そっかあ、あんなに探したのに無いほうが不思議だったから、そういうことならスッキリする。そうかそうか。」
なんだか、気分が軽くなった。
まんまるの月が出ていた。月に向かって歩いていると、月はどんどん遠ざかっていく。月を背にして歩いていると、月はこっちについて来る。月を横目に歩いていると、月は寄り添うように、一緒に歩いてくれる。夜の村を、栗田と一緒に、歩いた。
栗田が聞いた。
「マコト、大人になったら何になりたい?」
いきなり聞かれたので、マコトはきょとんとした。そうだ、今日は小学校の卒業式だったのだ、そういうことを考えてみたくなる日なのだろう。マコトは答えた。
「分からない、考えたことないから・・・」
本当に考えたことが無かった。子供の頃はパイロットになりたかった気がしたが、現実的に考えていたわけではない。マコトは同じ事を光雄に聞いた。
「栗ちゃんは? ああ、前にお父さんの大工を継ぐって言ってたっけ?」
光雄は黙って、目の前の暗闇を見つめて言った。
「うん、でも今さ、あんまり・・景気がアレで、結構、オヤジも大変みたいで、・・・だから、俺は大臣になる。それで大工の仕事を増やす!」
栗田はキッパリと言った。本気な感じがした。大臣って言うのは、なんかすごい感じがした。6年間学級委員を務めた彼なら、なれそうな気がする。ずっと一緒にいる仲間も、いつの日か、それぞれの道を行くんだなあ、と漠然と思った。栗田が少し大人に見えた。マコトも少し考えてから、
「そうだ、僕は村役場で働く。そしたら村から出なくてもいいし、ばあちゃんいるから。」
と言った。栗田もうなずいていた。

月の光が、二人の姿を地面に映していた。その影を見ながら、二人は歩いた。
マコトはなんだかんだ言って、やっぱり栗田やみんなと卒業式に出たかったと思った。みんなとほたるのひかりを歌って、晴れやかに校門を出たかった。楽しいことばかりで、なんだか、とても早い6年間だった。

結局、ばあちゃんはみつからずに、駐在所の竹田さんの所に行くことにした。
駐在所の隣の神社の前を通ったとき、マコトは立ち止まった。
祭りが終わって静まり返った神社の奥に、ひとつだけ、夜店が残っていた。
静かな神社に、たったひとつ、ぽつんと浮かぶ、ほたるみたいな光。
ばあちゃんの、おでんの屋台だった。
「!」
おでんの煮加減を見ていたばあちゃんが、こっちに気づいて言った。
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい。お祭り、まだやってるよ。」
おでんの屋台の横には、キャラメルがいくつか立ててあって、輪投げの輪が置いてあった。
・・・お祭りに行けなかった、僕のために・・・。
マコトの目に、たくさんの暖かいものがあふれた。
トレーナーの袖で拭いても拭いても、とまらなかった。
栗田はマコトの肩に手をまわして、二人はそのひかりのほうに歩いた。
ほたるのひかりみたいに、ふわふわと、優しい光だった。





国標津村シリーズ おわり

あとがき

これらの短編小説3作品は2005年〜に書きました。35%くらいのギャグと65%くらいの真面目さで書きました。
舞台は架空の国標津村(くにしべつむら)。人口200人の小さな村です。暑い地域なのか、寒い地域なのかは読む方のご想像におまかせです。僕の田舎や子供地代の思い出、おじいちゃん、おばあちゃんとの触れ合いを思い出し、その時に感じた暖かさを出せればなあと思って書きました。みんながみんなを支えていて、必要として生きている世界。

主人公は役場に勤めているマコト。同じ役場には小学校時代からの友達の栗田も働いています。
第1話「彼女の空」はその二人と、キヨテルとおばあちゃんの話です。便利な道具であるパソコンを、本来の使い方とは全く違う、何か他の形で、気持ちを伝えるツールとして使えればなあと思って書きました。

第2話「サンルーフ」もマコトと栗田の話。二人の中学時代のエピソードと距離感を、村長、栗田のお父さん、そしてロックミュージシャン佐野さんとの関係で描きました。すれ違いと、思い合い、そして親の子供に対する太陽のような気持ちを描きました。

第3話はマコトと栗田の子供時代の話です。第一話のキヨテルと同じで、マコトもおばあちゃんとの二人暮らし、子供から大人になる時期と、おばあちゃんとの触れ合い、どうして村役場で働こうと思ったのか、そして村のみんなが思い合い、支え合う姿を描きました。

書いてから五年経って、この五年で三回くらい読んだのですが、今回二年ぶりくらいに読んで、全体の15%くらいを書き換えました。基本的な価値観は今と書いた当時とで変わっていませんが、読んでいて新鮮な部分、忘れていた感覚、今だったらこうするなあという部分があって面白かったです。国標津村の人々、その生活、気に入ってもらえると嬉しいです。
ご拝読ありがとうございました。


2010夏 田辺誠一

+Poet

たくさんのひと


レジのおばちゃん、料金所のおじちゃん、前を歩いている人
電車で隣に座っている人、列に割り込んできた人、小生意気なおにいさん
車であおって来る人、意地悪する人、見て見ぬふりする人
ムカツクお兄さん ムカツクお姉さん ムカツクおじさん ムカツクおばさん
ぼくの しらない ひとたち
みんな だれかの たいせつなひと

誰かのたいせつな恋人
誰かのたいせつな子供
誰かのたいせつな親
誰かのたいせつな親友
誰かのたいせつなおじいちゃん
誰かのたいせつなおばあちゃん
誰かのたいせつな孫
誰かのたいせつな妻を育ててくれた親
誰かのたいせつな夫を支えてくれた恩師
誰かのたいせつな好敵手
誰かのたいせつな仲間
誰かのたいせつな パートナー
誰かのたいせつな   ひと

そうやって 通りを眺めると 目で見えるよりも
もっともっと たくさんのひとが てを つないでいる気がした