「ほたるのひかり」

---国標津村シリーズ3---


栗田のお父さんは大工の仕事を終え、国道沿いにある村で唯一のコンビニに来ていた。楽しみにしていたコンビニの前に毎晩出ているおでんの屋台がないので、店主に聞いた。
「あれ、ばあさんは? 休み?」
コンビニ店主の田中は腕時計を見た。午後11時。いつもばあさんは午後7時から11時まで屋台を出している。
「今日は来てないんだよ。マコトが小学校の卒業式だったから今日は休むのかなあと思ってたけど、電話でもしてみるか。」
そう言って田中は店の奥へ消えた。
栗田のお父さんは、いつもばあさんの屋台がでている、店の外を眺めた。



国標津小学校の昼休み。小6のマコト、栗田、南、木村は遊んでいた。
「マジカルバナナ、バナナと言ったら黄色!」
「黄色といったら、信号!」
「信号と言ったら、車!」
「車と言ったら、速い!」
「速いと言ったら、ニュース!」
「ニュースと言ったら、新聞!」
「新聞と言ったら、1を足す!」
「1を足すと言ったら・・・・・・・ちょ、ちょっと待って、ストップ!マジカルストップ!」
マジカルを止めた栗田はマコトに聞いた。
「1を足すってなに?あやうく続けそうになったけど、意味が分からないぞい・・」
マコトは答えた。
「新聞って、日付が昨日じゃない?」
みんなは顔を見合わせた。マコトは続けた。
「毎朝、ばあちゃんが新聞配達所に新聞を取りに行くんだけど、新聞の日付って前の日だから、それに1を足すと今日の日にちが分かるじゃない?」
「・・・・・・」
栗田が言った。
「・・・それさ、古新聞だよ。前の日の新聞をもらってるんだよ。」
「え・・・・」
「試しにさ、いい?、マジカルバナナ、腹が減ると言ったら?」
マコトは即答した。
「腹が減ると言ったら、寝ーる。」
「・・・やっぱり」
「なになに? 腹が減ったら寝ろってばあちゃんに言われてるよ。」
「・・・うーん、もしかしてビンバウ?」
「え・・・」
薄々分かっていることだった。マコトのトレーナーのバリエーションは4枚しかない。つまり月曜日と金曜日は同じトレーナーだ。夏場のTシャツもしかり。みんなはわざとらしいほどに白けた感じで解散した。
ばあちゃんと二人暮らしでお金がないのは分かっていたが、それが普通だと思っていた。新聞の日付が前の日なのも、腹が減ったら寝るというのも普通の事だと、本気で信じていた。今日はばあちゃんと口を利く気になれない。
もうすぐ小学校の卒業式なのだが、なんだかこのポジションのまま卒業するのは、ちょっと無念な気がした。この村ではみんな大人になるまで一緒なので、今のうちになんとか挽回しなければ。
小学生はリアルなのだ。一番いばっている奴でも、学校の帰りに犬のフンを踏んだら一瞬のうちに一番下のポジションに落ちるという下克上の世界だ。そこから這い上がるのは日々の努力が必要だ。貧乏というキャラは、犬のフンほどのダメージはないが、みんなの納得の速さを見ると、前から思っていたことをとうとう言ったり、という感じがして少し悔しい。
夜、口を利かないと決めていたが、やはりばあちゃんに全部話した。ばあちゃんは布団を敷きながら、黙って聞いていた。


数日後、学校から家に帰ると、大工をやっている栗田のお父さんが来ていて、リヤカーを改造して何かを造っていた。聞いてみると、おでんの屋台だという、ばあちゃんがおでんの屋台をやるらしい。2、3日夕方に来て作業をして、栗田やみんなも見に来ていて、栗田がニタニタしている気がして少し腹がたった。栗田のお父さんは、作業代はいらないと言った。そのかわりに、たまにおでんを食わせてくれ、ちくわぶは煮すぎないのが好ましい、と言って笑って帰っていった。好ましい好ましくない関わらずに、ばあちゃんが屋台をやるなんてマコトにとっては好ましくない、恥ずかしい。


おでんの屋台をやると聞いたコンビニの田中さんが家に来て、自分の店の前でやるといいと言った。ばあちゃんが屋台をやると聞いて村のみんなが心配してるけど、あそこは明るいし、人や車も村で一番通るし、何かあったら俺がいるから大丈夫、と。自分のコンビニは全国チェーンのフランチャイズでおでんも扱っているが、ばあちゃんのおでんのほうが美味いだろうし、そのほうがお客さんにとっても店にとっても嬉しいことだと言っていた。
次の日から、学校から帰るとばあちゃんはおでんの仕込をしていて、暗くなると屋台を引いて出かけていった。マコトはばあちゃんとあまり口を利かなくなった。たまに近所のおじさんに「おでん美味しかったぞー。」と言われてもバカにされている気がした。家にお金があれば、こんな辱しめを受けずに済んだのに。
マコトの両親はいない。じいちゃんも数年前に亡くなった。ばあちゃんに年金は出ていない。じいちゃんは働いていた工場で毎月、年金代を払っていたが、実はだまされていて、工場はその年金代を国に収めてなくて、だから年金は出ないらしい。ウチの収入は、ばあちゃんの畑仕事の稼ぎだけだ。
そしてばあちゃんは毎晩屋台を引いて、家から30分歩いた国道沿いのコンビニの前に通い始めた。



もうすぐ春祭りと卒業式だ。その2つは毎年同じ日に行う。一年で一番楽しみな春祭り。その日のためにマコトはその年のお年玉を使わないでいる。
午前中が小学校の自分の卒業式で、昼から神社で祭りが始まる。でも出かけるのは夕方からだ。外が明るいと日常の延長線上な感じがするけど、夕方になって、ぽつりぽつりと夜店の電球が点いてから、不思議な世界が浮かび上がる。たった一晩の夢の世界。いつも静かな村に多くの人が集まり、とても賑やかになる。たくさんの電球を見ていると、この世ではないフワフワとした浮遊感があって、不思議な気分になる。大人の入り口みたいな感じがする。


しかしマコトは熱を出した。その日の朝から40度の高熱が出た。卒業式も春祭りも行けなかった。ばあちゃんは青年会に
「孫が楽しみにしている祭りだから、もう一日やってほしい。」
と頼みに行ったが、やはり無理だった。同級生の南が卒業証書を届けてくれた。これからみんなで祭りに行くという。
午後9時頃、祭りが終わる時間に、不思議と熱もひいた。自分でもびっくりするくらいに普通にもどった。最近、ばあちゃんに冷たくしている罰でもあたったのだろうか、じいちゃんの仕業か?
卒業式のこと、春祭りのことをボーっと考えながらテレビを見ていた。ばあちゃんとは口を利かなかった。とりあえず全身からフテクサレタ感じの空気を出しておいた。熱で寝ている時にばあちゃんに、もういいよ、あっち行ってよ、いなくていいよ、おでん行けばいいだろ、と言ってしまったことが少し気まずかった。

しばらくすると、ばあちゃんは屋台の準備をして家を出た。いつも夜11時まで屋台をやっている。長距離トラックの運ちゃんで、仕事帰りの遅い時間にばあちゃんのおでんを楽しみにしている人が多いらしい。
テレビを見ていると電話が鳴った。コンビニの田中さんからだった。ばあちゃんが来てないらしい。時計を見ると夜11時だった。いや、10時前に家を出たよと答えた。家からコンビニまで屋台を引いて30分、着いていないとおかしい。
走った。コンビにまで走った。コンビニの前に屋台は無かった。来る道中でも見かけなかった。
田中さんと栗田の父ちゃんが店から出てきた。
「マコト、どうだ?」
「いない、途中もいなかった、探す!」
と言ってマコトは夜の道を引き返した。
暗闇の中、あっちこっち探したけど、いない。不安で胸がいっぱいになった。事故?強盗? でもばあちゃんはお金をもっていない。用意できるほどのおつりを持っていないから、お客さんはコンビニで何か買ってお金をくずしたり、田中さんが両替してくれたりしている。だから強盗ではないと思う。・・おでん?おでんを狙った強盗?いや、そんなの聞いたことない。少し肌寒い夜の闇に一人、不安が大きくなっていく。新聞は昨日の日付でいいから、今までの生活で充分だから、無事で出てきて欲しい、そう思った。
前方の暗闇の中に誰かがいた。
栗田だった。光雄もこっちに気がついた。
「・・・マコト、聞いた。俺も探す。」
「・・・・、うん。」
栗田は言った。
「・・・前に、俺がおたふく風邪の時、マコトのばあちゃんおでん持ってきてくれて・・・・・美味しかったから、だから、おでんの屋台やるといいって言ったの俺なんだ、それで親父に頼んで・・・。今回は俺の責任なんだ・・・。」
いつもの強気な栗田のキャラとは違っていた。


栗田と、ぽつりぽつりと、いろんなことを話しながら暗闇を歩いた。
マコトはひとつだけ、栗田に言えないことがあって、ずっと気になっていた事を聞いた。
「栗ちゃん、スーパーカー見に行ったの覚えてる?」
栗田は少し考えてから、思い出したように答えた。
「ああ、隣町の高田さんっていう家がスーパーカー買ったって噂で、一緒に探しにいったよな。3年の時か。」
「・・・うん、でも高田さんの家、見つからなくって、スーパーカー見れなくて、夜になっちゃって、僕たちが帰ってこないって村で大騒ぎになってて、駐在の竹田さんが探しに来て、大変だったよね。」
「そうそう、あれは悔しかったなあ、見たかったなあスーパーカー、どんなだったんだろう・・・カウンタックだったのかなあ?・・結局スーパーカー見れなくて、パトカーで帰ってきたもんなあ・・・」
栗田はそう言って、本当に残念そうな顔をした。マコトは、思いきって言った。
「・・・あれさ、実は、ばあちゃんから聞いた情報でさ、スーパーカーじゃなくて・・・スーパー・・カブだったんだ・・・・・ばあちゃん聞き違えたっていうか、知らなくて・・・」
「ええーーーーー!」
「スーパーって名前がついているから・・凄いと思ったらしくて、出前のバイクだなんて知らなかったみたいで・・」
「そーかー、カブの方かー、それは見つからないよなー。」
と言って、栗田は思わず吹き出した。
僕もつられて笑った。栗田が笑いながら言った。
「そっかあ、あんなに探したのに無いほうが不思議だったから、そういうことならスッキリする。そうかそうか。」
なんだか、気分が軽くなった。
まんまるの月が出ていた。月に向かって歩いていると、月はどんどん遠ざかっていく。月を背にして歩いていると、月はこっちについて来る。月を横目に歩いていると、月は寄り添うように、一緒に歩いてくれる。夜の村を、栗田と一緒に、歩いた。
栗田が聞いた。
「マコト、大人になったら何になりたい?」
いきなり聞かれたので、マコトはきょとんとした。そうだ、今日は小学校の卒業式だったのだ、そういうことを考えてみたくなる日なのだろう。マコトは答えた。
「分からない、考えたことないから・・・」
本当に考えたことが無かった。子供の頃はパイロットになりたかった気がしたが、現実的に考えていたわけではない。マコトは同じ事を光雄に聞いた。
「栗ちゃんは? ああ、前にお父さんの大工を継ぐって言ってたっけ?」
光雄は黙って、目の前の暗闇を見つめて言った。
「うん、でも今さ、あんまり・・景気がアレで、結構、オヤジも大変みたいで、・・・だから、俺は大臣になる。それで大工の仕事を増やす!」
栗田はキッパリと言った。本気な感じがした。大臣って言うのは、なんかすごい感じがした。6年間学級委員を務めた彼なら、なれそうな気がする。ずっと一緒にいる仲間も、いつの日か、それぞれの道を行くんだなあ、と漠然と思った。栗田が少し大人に見えた。マコトも少し考えてから、
「そうだ、僕は村役場で働く。そしたら村から出なくてもいいし、ばあちゃんいるから。」
と言った。栗田もうなずいていた。

月の光が、二人の姿を地面に映していた。その影を見ながら、二人は歩いた。
マコトはなんだかんだ言って、やっぱり栗田やみんなと卒業式に出たかったと思った。みんなとほたるのひかりを歌って、晴れやかに校門を出たかった。楽しいことばかりで、なんだか、とても早い6年間だった。

結局、ばあちゃんはみつからずに、駐在所の竹田さんの所に行くことにした。
駐在所の隣の神社の前を通ったとき、マコトは立ち止まった。
祭りが終わって静まり返った神社の奥に、ひとつだけ、夜店が残っていた。
静かな神社に、たったひとつ、ぽつんと浮かぶ、ほたるみたいな光。
ばあちゃんの、おでんの屋台だった。
「!」
おでんの煮加減を見ていたばあちゃんが、こっちに気づいて言った。
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい。お祭り、まだやってるよ。」
おでんの屋台の横には、キャラメルがいくつか立ててあって、輪投げの輪が置いてあった。
・・・お祭りに行けなかった、僕のために・・・。
マコトの目に、たくさんの暖かいものがあふれた。
トレーナーの袖で拭いても拭いても、とまらなかった。
栗田はマコトの肩に手をまわして、二人はそのひかりのほうに歩いた。
ほたるのひかりみたいに、ふわふわと、優しい光だった。





国標津村シリーズ おわり