「サンルーフ」

---国標津村シリーズ2---


村長は赤面しそうだった。その理由は二つある。
まず、高級な県の公用車を借りてきたにもかかわらず、地面の凹凸がひどく、さっきから車がひどく揺れていることに対して。予算のない国標津村の道路整備はかなり遅れている。そしてもうひとつは、高速のインターを降りて既に40分も走っていることだった。村に高速は走っているが降り口が無いために、隣の県まで行って、戻る形になるのだ。
そのことに対して、後部座席の村長の隣に座っているロックミュージシャン、佐野友秋がどう思っているのか、それが気になった。そこで村長は質問をした。
「田舎でしょう、すみませんね、こんなところまで。」
それは都会から来た人に対して、誰もが言うお決まりの挨拶みたいなもので、
「いえいえ、自然がたくさんあって、いいですね。」という答えを前提とした質問で、分かってはいるが、それを聞くと安心するという、季節の挨拶のようなものだった。
しかし今回は違った、個性派の佐野さんは黙ったままだった。重い空気が車内を覆った。僕はバックミラー越しに、風景を眺める佐野さんの横顔を見た。そんなに不満そうな顔をしているわけではない。彼独特の雰囲気で風景を楽しんでいるように見えた。僕は昔から佐野さんのファンで、僕が今年の青年会のゲストに推薦したので、この空気に一応責任を感じ、佐野さんに聞いた。
「雨、降らないといいですよね、でもきっと大丈夫ですよ!」
今日のコンサートは屋外だ。佐野さんは黙ったまま空を覆う厚い雲を見つめた。予報では、雨だ。僕は続けた。
「佐野さんのバックバンドのオーガニック☆ジャンキーのベッティ吉野が脱退したってホントウですか?」
佐野さんは、オヤという顔をして、サングラスを外し、バックミラー越しに僕を見てくれた。僕は緊張した。佐野さんがゆっくりと口を開いた。
「僕はこう思うんだ。それぞれの道がある、それは先でつながっているかも知れないし、そうじゃないかもしれない、でも、これだけは言える。ベッティさんのサックスは、生き物だよ。」
「・・・そうですかー!」と話の内容を良く理解していない村長は相づちを打って、会話が成立したことに対して安心した顔をした。
僕はそんなことよりも年下のベッティ吉野に"さん付け"をした事に驚き、呼び捨てにした自分が恥ずかしくなり、そしてますます佐野さんの事が好きになった。僕はさらに調子にのって言った。
「アルバムの"ボヘミアン喫茶"の最後の曲の"コーヒー羊羹はコーヒーを飲みながら食べると普通の羊羹"が好きで、すごい好きなんです。」
ヨウカンはタイトルにしか出てこなくって、慣れることで大切なナニカを忘れてしまうという切ないラブソングで、最高にクールだった。
佐野さんはオヤという顔をして、「♪風の中の八月~」
と口ずさんでくれた!おおー、これは佐野ファンの栗田に報告だー。村役場の同じ部署で働く栗田は僕よりもアルバム一枚分永くファンなのだ。僕たちは、佐野さんがこんな小さな村に来てくれることに熱狂した。レコード会社の人も、普通は考えにくいが、今回は本人が快諾してくれたと言っていた。最高に嬉しい。

会話が温まってきたことを村長は感じ、話を自分方向に戻そうとした。
「いやー、インターができる話も昔はあったんですが、すみません田舎で。」
佐野さんはふたたび黙り、いまにも降り出しそうな厚い雲を眺めていた。

インターチェンジの話で思い出した、そういえば中学の頃、そんな話があった。話の主は栗田だった。栗田は教室でみんなに言った。
「これは内緒なんだけど、うちの畑、売るかもしんねー。道路公団の人が来てさ、土地の取得がどうとか権利がどうとかさ、インターチェンジ建設の下見だって親父が言ってた、けど内緒な。国家機密な。」
みんな興奮した。遠くで偉い感じの人たちが決めること、それを事前に知ってしまって、とてつもない秘密を聞いた感じがした。車を持っている家も少ないし、インターが出来て、何がどうなるかよく分からなかったが、気持ちは高揚した。
栗田は喘息で体が弱いので、週に一日学校を休んで高速道路で病院に行っていた、だから彼は特に嬉しかったのかもしれない。
しかし・・・・・、いつまで経ってもインターは出来なかった。みんなの期待していた気持ちがしぼむのに反比例して、栗田は虚言癖があるという風評が大きくなっていった。みんな、しぼむ気持ちの理由も本当はよく分からなかったのだが・・・・・。
それ以降の栗田は、ひとつの嘘を薄めるかのように、たびたび嘘をつくようになった。みんなが栗田を避けることになった決定打は
「蚊取線香って何でできてるか知ってる?蚊なんだぜ、蚊、だから蚊が嫌がるんだ。」だった。
僕は彼を避けることはしなかったが、お互いに少し距離が出来た。彼に何か言うと、彼は話を大きくするために嘘をついてしまう、そうなるのが嫌で、話しかける回数が少なくなってしまった。以前とは確実に温度が違っていて、何か寂しかった。僕の家はラジオの電波が届かなかったので、毎週、栗田に録音してもらっていた佐野さんのラジオの事がやけに気がかりで、もう頼めないかと思っている、そんな自分も嫌だった。

後から聞いた話だと、当時、栗田はインターの事を父親に尋ねたらしい。
父親の答えは「ああ、そんな話があったかのう。」という軽いものだった。
栗田もそれ以上は聞けなかった、「なんで!」と熱く聞くのもかっこわるいし、そこまでインターにこだわる理由も自分の中に見つからなかったし、説明も出来なかった。「ふうん。」で済ませた。なにかとクールを装いたい年齢だ。家の前にインターが出来て病院に速く行けることも彼の中で特段喜ぶことではなかった。時間がかかって丸一日学校を休めるほうが嬉しいのだから。

しばらくして栗田はラジオにハガキを送った。どうしてああなったか?、どうして自分はそうしたのか?、父親への失望、なにもかも整理がつかない感情を、ハガキいっぱいに、こまかい文字で書き刻んだ。それを打ち明けられるのは佐野さんしかいなかった。しかし、ラジオでは読まれなかった。
当時、佐野さんのラジオで中高生のリスナーは「坊や」と呼ばれていた。大人になる前の多感な時期を、繊細すぎる年頃の問題を深刻に抱えすぎないように、佐野さんは愛情を込めてそう呼んでいた。ファンの中高生も自分は「坊や」だと言って自慢したりした。高校を卒業したリスナーは「貴君」になる。佐野さんはラジオでは決して「ラジオの前の"みんな"」には語りかけなかった。「ラジオの前の"キミ"」に語りかけた。それは、一対一の時間だった。
いずれにしても、インターチェンジが彼の道を、少しだけ狂わせた。栗田が"坊や"でいられる時間はいつの間にか過ぎ去った。
役場に到着した。50分かかった。インターチェンジがあれば、たった5分の距離だ。



青年会は盛り上がった。役場の隣の運動場が会場だったが、なんとか雨も降らずにすんだ。"コーヒー羊羹"のボサノババージョン、最新曲の"僕がシュートを決めたら、みんながウキウキ"も披露してくれた。そして何と、ベッティ吉野さんが飛び入り参加してくれたのだ!後任のトランペッターのペッパー岸田さんとのホーンバトルは盛り上がった。最高の時間だった。
コンサートの途中でアンプの調子がおかしくなり、5分くらいコンサートが中止になったのだが、すぐに復活したので良かった。しかしあの5分は永かった。永遠に時間が止まったかのように、とてつもなく永く感じた。
帰りの運転手は栗田だった。彼はやけに緊張した面持ちで車に乗り込んだ。
僕は会場のあとかたずけをしていた。そこに栗田の親父さんが来て、
「和弘は、どうしたかのう?」と聞いた。
「ああ、和弘君は佐野さんを乗せて出ました。」
「ああ、そうか、和弘は佐野さんのファンじゃからのう、一回、ファンクラブの会報の封筒を間違って開けたときは怒ったなあ」
「そうですか」
「ん、和弘の車に乗せてもらう約束じゃったが、じゃあ、バスで帰るとするかな。」
そう言って親父さんは、バス停のほうに向かった。そんな約束のことは栗田はないがしろにしているに違いない。
「ああ、僕の車でお送りしますよ。次のバスまで2時間ありますし。」
栗田はあの件以来、親父さんと距離があるので、何かと僕が気遣うのが自然になっていた。助手席に乗ったお父さんは、やけに小さく感じた。時間は確実に流れている。栗田のお父さんも70歳近いのだ。どことなく距離が出来てしまった親子、どんな時間が流れていたのだろう。
僕はお父さんを送る道中で思い切って聞いてみた。
「昔、インターの話ってありましたよね?」


栗田は高揚していた。今日のコンサートの感想を一通り佐野さんに伝えた。すこしアクセルをゆるめて、もっと時間が欲しいと思った。でも疲れている佐野さんのために、なるべく急いだ。
村長が言った。
「また50分ですが、寝ていていただいてかまいません。」
佐野さんはしばらく黙ってから、唐突に言った。
「この村に、インターチェンジ、あるほうがいいんでしょうか?」
栗田はびくっとした。さっきまでの高揚が引き、表情がこわばった。忘れていた感覚が蘇った。
「昔、レディオをやっていたとき、そんな内容のハガキをリスナーからもらったことがあって、純粋で壊れやすい気持ちが溢れていた。インター建設の件が立ち消えて、色んな事があり、自分でも整理がつかなくて、友達が去ってしまい、父親との距離が出来てしまったという内容だった。」
と言って、ジャケットのポケットから古びたハガキをとり出した。
栗田は驚いてバックミラー越しの佐野さんを見た。サングラスをしていた佐野さんと目が合った気がした。
村長は佐野さんの質問に答えた。
「まあ、車が増えますので、大型店の誘致もしやすいですし、旅館も物流も、なにかと・・」
佐野さんはハガキをポケットにしまい、頭をヘッドレストにもたれさせ、車の天井を見上げていた。村長は続けた。
「昔そういう話があったとき、予定地になっている土地の持ち主が私のところに来まして、中学生の子供が喘息持ちだから、できればインターはやめてくれと来まして、トラックやらダンプやら、車が増えますので。」
「!」
栗田の中で、ゆっくりと氷が溶けはじめた。村長が思い出したように言った。
「ああ、あれは栗田君のお父さんだったなあ確か、そうかそうか、体はどうだ?」
涙があふれてきて、言葉が、なかなか、出てこなかった。
「・・・・・・はい、・・・治りました。」
その時、朝から空を覆っていた雲に隙間ができ、車に光が射した。栗田は涙をぬぐい、目を細めた。バックミラー越しの佐野さんが少し微笑んだ気がした。そして佐野さんが言った。
「朝から新しい曲の題名を考えていたんだけど、今、舞い降りた。題名は「雲の向こうでも、いつも太陽は輝いている」だ。」
佐野さんは栗田を見て、続けた。
「坊や・・・いや、貴君、サンルーフを開けてくれないか!」


同じ頃、栗田の親父さんも僕に言った。
「それで、村長は、一も二もなく断ってくれた、あれは助かったなあ。」
すぐに栗田に電話して伝えたいと思った。

でも彼は今、50分という、貴重な佐野さんとの時間を楽しんでいるに違いない。
僕らにとって、佐野さんとの50分は、一瞬のように短い!





おわり